40代でやっと気づく、一生懸命生きる意味
こんにちは。
超心配性の40代アラフォー女、まっちばこです。
記念すべき一回目の投稿は、
40代でやっと気づいた生きる意味について書いてみます。
私は小学校1年生の時、お墓の前を通りかかった時、
「今、生きてるってどういうことなんだろう?」
と考えて怖くなったことがあります。
そして
「今は答えが分からないけれど、
今、この瞬間、ここで、
こういう風に思ったことをずっと忘れないでいよう」と決めました。
だからあれから40年近くたっても鮮明に覚えています。
そしてずっと息を切らしながら一生懸命生きてきました。
もうすぐ、引っ越しです。
今、私は引っ越し準備中です。
もうすぐ引っ越しなのですが、今日から梱包を始めました。
大きな不用品は処分したし、
あとは家にあるものを段ボールに詰めるだけ…
と楽観視していたのですが、
この「詰めるだけ」という作業には
重たいものを持つ作業と、様々な判断が伴うので、体も頭も疲れました。
明日も頑張ります…(。-`ω-)。
今日はノルマを達成したのでこれを書いています。
家の購入は大きな転機
さて、今回の引っ越しは人生で5回目。
おそらく、人生最後のお引越し。
なぜ人生最後?
それは、家を購入したからです。
私は40代独身、子ども無しの女ですが、
パートナーと10年以上ともに暮らしています。
そのパートナーと中古マンションを終の棲家として購入したのです。
家の購入というのは、本当に大きな転機ですね。
今年の3月末に突然、家の購入に向けて動き始めてから
私のまわりの空気や環境が変わってきています。
そして思考もゆっくり変わってきています。
一生懸命生きてきて…肩の荷が下りた
最近、ふと思い出うのですよ。
「おーい、子どもの頃の私!
アラフォーになった私は
こんなに穏やかな暮らしを手に入れたぞ~」
こんなことを考えたのは初めてです。
物心ついたときから、
40代になる今までずっと、
一生懸命生きてきました。
一生懸命生きることが大事だと信じて。
でも最近、ふっと思うのです。
「ああ、もうがんばらなくていいんだ」
「このままの私でいいんだ」と。
ちょっとあきらめに近い感情に聞こえそうですが、
そうではありません。
肩の荷が下りたような、解放された気分なのです。
超心配性がささやいてくる。
でもまだ慣れないのです(笑)
やはり、超心配性の私がささやく。
「本当にそれで大丈夫なの???ねえ?」
「もっと頑張った方がいいんじゃないの?ねえ?」
「ちゃんと頑張らないと、後で大変なことになるよ?」
頭の中の声は止まりません。いつも元気(笑)
昔の私なら言うことを聞いて、
さらに心配になって焦っていたものですが。
今はその心配性の声を宥めながら
「大丈夫なんだってば!」と言い聞かせることができます。
最近の超・進化 生きる意味はあった
気持ちが強くなったような感じですが、
この数日は
「私、幸せになって良いの?」から
「私、幸せになっていいんだなあ」と認めることができつつある!!
さらに!!!
「あれ?私、今幸せになってるじゃないの!?」
ついに、ここまで来れました。
ナイ から アル に。
力が抜けて、心がほんのり温かいような、緩むような感じがしました。
超心配性の私の人生では見られなかった現象です。
何度か、生きる意味はないと悟ってしまった時がありました。
それでもここまで生きてきました。
そして「私、幸せになっていいんだなあ」から、
「あれ?今、幸せじゃん!」に至るという超・進化。
もうこれだけで一生懸命生きた意味はあった、と思います。
「私の幸せはこれだった」と気づくまでの旅だったと思えるから。
まだうまくいっていないこともいくつかあるのは事実。
だけど。
何だか大丈夫なような、
根拠のない自信がチビチビと湧いてきています。
このチビチビしたものを、
昔の私は過小評価していたと思います。
心配性は簡単に治らないけれど、
今はこのチビチビを大切にして、育てたいと思います。
まっちばこ
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